奈良欲・奈良浴 その3

白毫寺

(6/16の日記のつづき)

薬師寺のそばを通り、田畑と宅地をもう少し歩いていくと、坂を上ったところに白毫寺の石段が。
高い土地の上にあるので眺望が開けています。
久し振りに訪ねてみるとパンフレットがちょっと新しくなってました。


←手前の樹は奈良三名椿のひとつに数えられる五色椿、奥にみえるのが本堂。
本堂内には三者三様の座り方をした阿弥陀三尊像が安置され、背後の白壁には両界曼荼羅が掛けられていました。なぜか三尊像には光背が付いておらず、そのせいか須弥壇の上がえらくシンプルに見えます。
仏前にはメロンがぼんと供えてありました。



本堂の後ろに、8躯の重文仏像を安置する宝蔵があります。

宝蔵の前には大書された格言が。*1

このお寺の方はなかなかワイルドな書風のようで…

徒然草』にこんな一文があるのを思い出しました。


手のわろき人の、はゞからず、文書き散らすは、よし。見ぐるしとて、人に書かするは、うるさし。
(第三十五段)*2


宝蔵内。正面におわす阿弥陀仏の坐像こそ当寺の本尊であるらしく、なかなか大きい仏さんですが、光背は周縁部の上の方のみを残して、ほかを欠くという状態でした。やはりメロンを前に座しておられました。

白毫寺の古仏でとくに有名なのは閻魔とその眷属の像でしょう。康円作の太山王坐像は、閻魔王もそうですが、それ以上に冠がマジンガーZのようでした。もしかしたら実際にマジンガーのデザインは、こういう閻魔とか冥官の姿に着想を得たのかもしれないと思いました。 

寺で最古の仏像、文殊菩薩坐像*3はひそかに好きな仏像です。顔の表情も、大きな宝髻も、肉付きのよい体もいかにも古様で、東寺講堂五菩薩像などに近いように思われます。腰がくびれているところも平安前期的な密教ぽさがあって、その腰からへその辺りなどに、女性的な艶を感じました。やはりよい仏さんです。

当寺を再興した叡尊の肖像は、まわりを大きな像に囲まれて、ひとり小さくみえました。

(7/12の日記へつづく)

*1:ちなみにフライリヒラートは19世紀ドイツの詩人だそうです。

*2:手のわろき人 …筆で書く文字の下手な人。「手」は、書・筆蹟。 岩波文庫 新訂『徒然草』より

*3:当初の両手が変わっているようなので、伝・文殊菩薩としておくのが適当か。