図録と呼ぶか、カタログと呼ぶかは、自由だ?

栞とポスター


兵庫県立美術館へ「日本近代画家の絶筆」展*1をみに行った。

画家が最後にのこした作品ばかりで構成するという、展覧会のテーマはなかなか興味深いものであったが、鑑賞した感想は別として、ちょっと驚いたことがある。

それは今回の図録のこと。サイズが小さいのだ(A5)。
特別展の図録としては、異例の小ささと思われる。
うちにあった「最澄と天台の国宝」展図録などと比べると一目瞭然。


 

(大)「最澄と天台の国宝」展図録 (中)「日本近代画家の絶筆」展図録 (小)文庫本


なぜこんな小型サイズにしたのだろう・・・?
作った側の意図は知らないが、意識してこの大きさにしたことは違いない。

実際、図録があんまり重いと持って帰るのがしんどい。
展覧会の規模が大きいと、当然展示の件数が多いから、自然と図録も厚くなり、重くなる。作品図版も、ページにある程度の大きさ(A4くらい)がないと細かいところまで見えないから、そういう必然性もあって図録には常識的な大きさが設定されているように見受けられる。

しかし会場で図録を買っていくのは、研究者ではない一般人がほとんどではないだろうか。
そういう我々は知らず知らずのうちに、図録は大きいほど、厚いほど、重いほどありがたみがある・・・という権威主義的な思い込みをしてしまっているのかもしれない・・・「絶筆」展の図録がそう思わせた。


例に挙げた「最澄」展は、「絶筆」展とは展示件数が倍ほど違うから簡単に比較してはいけないが、筋トレに使えそうなほどヘビー級の図録というのは・・・。たくさんの人に来場してもらいたい、また図録も買って見てほしいと企画する側は考えているはずであるが、それならば図録のサイズをもっと考慮してもよいように思われる。「絶筆」展図録の小ささは、その点の便宜を図った結果であると推測される。

本という形態で、手軽さと内容の充実を両立させるのは難しい。しかし言ってしまえば、作品図版はどうせ原寸よりずっと小さくなって収録されてふつうなのだから、「絶筆」展のように図録が小型化していく傾向がこの先進んでいったとしても、それは構わないと私は思う。
手軽で省スペースな展覧会図録は、美術に親しむための工夫のひとつといえる。


ちなみに7/7は七夕特別企画云々で、図録を購入された方に特製しおり&ポスターをプレゼント!とあり、それにつられて買ったわけでもないのだが。しかし、しおりは開館記念*2の品で、プレゼントというより在庫一掃なのでは…?との推理は当たってるかもしれない…。

それからポスター。
何せ「絶筆」だから、部屋に貼るのはちょっと・・・。

*1:「見果てぬ夢―日本近代画家の絶筆」@兵庫県立美術館 5/29-7/8 2007

*2:兵庫県立美術館は平成14年4月に開館した。