「あ、そうだそうだ」

今晩はまた兄夫婦がやってきて、皆でカレーを食べるのだそうな。
そんなこんなで家の中では落ち着けず、市の図書館へ。
次に「牛歩の読書」でよむ本を探してみる。


岩波文庫の書架を眺めたりしたが、結局梶井基次郎の『檸檬』(新潮文庫)を読んでみることにした。
これも漱石の『猫』と同じく、名前は知ってるが読んだことのない作品であり、
以前から読んでみたいなーと何となく思ってはいた。

で表題作の「檸檬」だが、短い作品だからもうその場(図書館内)でぜんぶ読んでしまった。
一作品を一時に読了するというのは、読書を趣味にしていない私にとっては
(本当に)ちょっとした冒険である。まあ「檸檬」の短さゆえに出来たことだが…。


で、初めて読んだ感想はというと。
京都の丸善だの爆弾だの、内容にかかわる一部の情報は知っていたが、こういう話だったのか・・・
梶井という人は、ちょっとおかしな人物だったのだな、と思った。

(これは私だけの勝手なイメージかもしれないが、)
夭折した偉人というのは、短い生涯を清廉潔白真面目に歩んだように思えて
実はとんでもない一面があった、という話をいくつか聞いたことがある。

野口英世*1石川啄木*2などはその例であると思われるが、梶井もまたその部類に入るのだろう、か。


さて、この新潮文庫版には計20篇が収められている。
とりあえず借りはしたが、全部読むかどうかはわからない。
読み進めていくと、どんどん味が出てくるかな。

*1:野口英世には、友人知人から借金しまくった・結婚詐欺疑惑があった・アメリ渡航のために人からもらった金で芸者遊びして一晩で使い果たした、などのエピソードがあるらしい。生前に刊行された彼の伝記について、それを読んだ野口本人は「あれは悪い本だ。作り話だ。」と述べたというが、これは「トリビアの泉」でも紹介された。梶井や啄木に比べれば野口は夭折というほどの年齢で逝去してはいないことに後で気付いたが、折角なので注記しておく。

*2:石川啄木もまた野口同様「トリビアの泉」で、カンニングがばれて中退した・女だと思って男にラブレターを書いた・手紙で「一言も言い訳できません」と書いておきながら借金が返せない言い訳を1m33cm書いた、といった様々な逸話が知られてしまった。さらには「Hな日記を妻に読まれては困るためローマ字で書いていた」というトリビアもあるが、実際「Hな」どころのレベルではないようだ(「ローマ字日記」)。