京博「最澄と天台の国宝」その2

四月だ。
四月の風が吹く四月だ。
少し乾いた町の風が、俺達を誘いに来るような四月だ。


ま、四月になったからってとくに感慨はありませんが、
エレカシの歌は思い出しますな。


※ 以下「最澄と天台の国宝」展のネタバレが含まれます。

第二章 法華経への祈り(3室)

3室は、天台の教えの柱である法華経に関連して、いわゆる装飾経や、
普賢菩薩仏画、経塚遺物など展示。


うーん…申し訳ないが、この部屋ではあまり足を止めなかったかな。
展示替されるものも少ないようだし、ゆっくりみるのは2回目行くときでいいかとか
(友の会特典で1回まで無料なので、この展覧会に2回行くつもりだった)、
この後中央ホールで待ち構えるであろう、仏像たちをみるための
余力を残しておきたいとか、そういう意識がはたらいていたのかもしれない。


装飾経のすごさというのは、少しはわかってるつもりなんですけどね。
仏教美術において装飾性を大事にしているという点で、
院政期の仏像彫刻とも共通したところがあるし。
しかし、今日まで遺品が伝わっていることの貴重さ以上に、
その味わいを理解するためには、書や料紙についての勉強がいりますな。


でも、福島・龍興寺の「一字蓮台法華経のポストカードは買いましたよ。
法華経の一字一字を、蓮台の上にのせるようにして書写したもの。
なんだかかわいらしい国宝だ。
で、続きまして、

第三章 浄土への憧憬(4・5室)

極楽浄土や阿弥陀仏、また念仏や地獄に関係した展示。 

4室では仏像の展示が多かったように思う。
まずは空也上人立像
何かで情報を得て、ここに空也像が出ているという話は耳にしていた気がするが、
いらっしゃっていたのはあまりにも有名な六波羅蜜寺のではなく、月輪寺の像だった。
前者では空也の唱えた「南無阿弥陀仏」の六字が、六躯の仏となって口から一列に
出ているのに対して、後者では左右に三躯ずつセパレートされている。
同じ鎌倉時代の作とはいえ、六波羅蜜寺像とは作者の系統がだいぶ違うようだ。
図録の中では、黒色をバックにして立っておられるのだが、
両目の赤さが映えていささかこわい…


この空也さんに会うのは初めてだろう。月輪寺には、未だにいったことがないから。
このお寺さんは京都の山の上にあるのだが、その立地も一因して、お寺の方が維持に
苦労なさっているという報道が、数年前に新聞やテレビで取り上げられていたが、
その後どうなったのでしょうか。誰か一度、月輪寺に連れてって下さい。


愛宕念仏寺の千観内供坐像は、奈良の展覧会でみたことがあったかもしれないな。
千観は空也と同時代の人物で、ともに念仏を広めた僧侶。
桂枝雀に似た感じの顔をされている。
口を開き、少し笑みをたたえたような表情がリアルだ。さすが鎌倉彫刻。
ただし、空也像にせよ千観像にせよ、その像主が実在していたときより
300年くらい後になってから造られたものなんですよね。
だから写実的といっても、写真をみて彫ったというわけではない。
現実味のある肖像を造るのに、時代が変わってやっと技術が追いついたと
いうところか?


二尊院阿弥陀如来・釈迦如来立像…これが出品されるのには驚いた。
まあ、出品されていること自体は、会場に行く以前にみた読売新聞の割引券*1
この両像の写真が使われていたから、知ってはいたのだが。
このお寺もまだ訪れたことがないが、寺名の由来となった本尊のはず。
どうも京都展のみ展示らしい。


ほう、両手の上げ下げが、二尊で左右対称になっているのか。知らなかった。
お、光背には かりょうびんが が付いている(漢字調べるのが億劫。すんません)。
図録をみて知ったが、阿弥陀の来迎印がふつうと違っている。
何かこう、全体的にみて、現代で通用する仏像といった印象だ。
実際本体以外の台座・光背は、新しいものになっているかもしれないが。


ほかに天台独自の仏像として、宝冠阿弥陀如来・両脇侍坐像もあった。
この三尊像は、静岡の伊豆山浜生活協同組合というところが所蔵している。
「生協の三尊さん」とでも呼ばせてもらおう。いま思いつきました。
しかしこの像、展示替されないことに油断して、2回目のときでいいやと
さほどじっくりみなかったのが無念。
手足のとれまくっている両脇侍像のあいだに、本来すわっていたと思われる、
快慶作耕三寺・宝冠阿弥陀如来坐像(後期展示作品)ともども、機を逃してしまった。


5室では聖衆来迎寺の「六道絵」が、左右のケースにずらりと掛けられていた。*2
これについては、10月8日の読売一面に写真つきで記事が掲載されていたので、
事前情報を得ていた。全15幅が揃って公開されるのは、32年ぶりであるとのこと。
大々的に宣伝されてた割には前期のみの展示だったのは、保護上の理由なんだろう。
東京展でも全幅展示されるようだし。


当日のメモを見返すと、「畜生道」と「人道不浄相」がよいと書いてある。
畜生道では、この世に生きる動物たちが、
人間からいろんな仕打ちを受ける様子が描かれている。
人道不浄相は、前に何かでみた覚えがあるぞ。
キレイな人でも、汚く死んで行くというやつな。
「阿鼻地獄」もいいな。ほかの地獄図とは、構図がちょっと異なるようだ。
この絵の下方に描いてある鬼たち、「地獄に出勤してきたところ」みたいな感じ。


5室は両側のケースを挟んで、その間に長椅子が置かれていた。
そしてその上には図録の見本も。
でも長椅子にすわって六道絵を眺めるのは△。
絵との距離、及び絵の色あいからして難ありだ。長椅子はあくまで休憩用かな。
こういう地獄絵などは、畳敷きで香が焚いてある部屋で、
ロウソクの明かりでみる方が○かな、
なんてメモには書いてあります。


さあ、いよいよ中央ホールだ。
ん?部屋を移動する前から、向こうに仏像がみえるぞ。
そこに立っているのは……!
おお、観世音寺の大黒天ではないか…!!
(つづく)


長久手すんません…

*1:3/25の日記参照

*2:5室では聖衆来迎寺「六道絵」に加えて、慈光寺「阿弥陀経」が展示してあったと思われる。