京博「最澄と天台の国宝」その1

京都国立博物館(10/8-11/20 2005)


さ、感想書きましょ。
しかし観覧日がいつだったのかメモしてない…
このときに入会した友の会カードの期限から推測するに、10月21日(金)に
行ったかと思われます。
中央ホールの展示以外は、展示品の配置等の記憶もあいまいだ。
ここは出品目録を参考にしつつ、展覧会の章立て順に書いていこう。
仏像を中心に、印象に残ったものを…


※ 以下の文章には、「ネタバレ」要素が含まれます。
天台京都展には行ってないけど、東京展に今後行くという方は、ご了承ください。 

第一章 天台の祖師たち(1・2室)

1室に入れば、すぐ正面から彫刻が目に飛び込んでくるのがパターンだ。
しかしはっきり覚えてないな…何故だ?テンション妙に上がってたのだろうか?
まあおそらくその位置には、観音寺・伝教大師坐像がおられたのでしょうな。
伝教大師最澄さんの彫像の代表作。
私は少なくとも過去一度お会いしてます。たぶん奈良で。
ほう、像内銘があったのか。貞応3年(1224)作か。


だが最澄像よりも印象に残っているのが、
初対面だった瀧山寺(たきさんじ)・天台大師坐像
中国天台の祖、天台大師智邈の小さな彫像。表現がおとなしく、平安時代・12世紀の
作というのには納得。へー、こんな古い作例があったのか。
むかし真如堂で江戸時代くらいのをみた覚えがあるが。
ぱっと見、伝教大師と変わらない格好。違いは、頭の上に禅鎮という皿のようなものを
のせているところ。*1
禅鎮とは、居眠りを戒める器具だそうな。
落とさないように注意を払わなければならないとか、多分そういう効果なんだろう。
これを聞いて、私は『小公女セーラ』のワンシーンを思い出しました。
主人公セーラの通っているお嬢様養成所みたいな学校で、美しい姿勢で歩く練習とか
なんとかで、頭の上に本をのせて部屋の中を歩くんですよ。
その最中、セーラはラビニアに足を引っ掛けられるのですが。


展覧会タイトルの由来でもある、天台法華宗年分縁起」は同じく1室にあったはずだ。
「国宝とは何物ぞ。宝とは道心なり。道心有る人を名づけて国宝となす」
最澄自筆の文書。今回の図録裏表紙にも、「国宝」の2字のみ赤色にして
デザインされてます。三筆のひとり、嵯峨天皇筆の「光定戒牒」も第一章で展示。


延暦寺維摩居士坐像は、2室の真ん中にいたと記憶。
独立展示ケースで、360度全方向からその姿をみられたように思う。
この維摩像は有名(自分の基準ですが)だが、実物をみるのは今回がはじめてかも。
同じ維摩としては、石山寺の像が制作時期(平安前期)・大きさともに
近かったはずだが、個人的にはヒゲと胴が一体化した石山寺像の方が好みかな…
尚、11/9読売新聞夕刊では、
維摩居士坐像を食い入るように見つめる外国人」の写真が掲載されてました。


聖衆来迎寺「霊山院釈迦堂毎日作法」
おお、これは定朝*2の名前が記されている史料ではなかったかな?
後日確認したが、やはりそのようだ。
ここにみられる「僧定朝」が仏師定朝と同一人物であるなら、
定朝が比叡山出身の人物だった可能性があるというわけだ。
会場では、その該当箇所を確認できなかったが。


明王院権大僧都成円ほか参籠札」。で、でかい。
2室には、相応和尚がはじめたいわゆる回峯行に関係する展示があったが、
これもゆかりの品。
葛川明王院にこもる行の際に奉納された木の札だそうだが、いやはやでかい。
4メートル近くある。いかんせん図録では、その大きさがまったく伝えられないのだが。
(つづく)

*1:観音寺の伝教大師像も、頭に禅鎮をのせているという説がある。

*2:日本仏像史を代表する平安時代後期の仏師。平等院鳳凰堂阿弥陀如来坐像が、唯一確実な作品。