大きな声では言わないが
京都・大徳寺の某塔頭で、一休禅師の絵がアライグマ(とみられる)に傷付けられた、というニュースがあった。
ということであるが、
ここであえて言おう―
「その絵、ほんとうに大事にしてきましたか?」
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テレビのニュース映像を見たが、一休さんの絵は方丈を廻る廊下の突き当たりのような場所にあるのがわかった。リンクの記事にもそう書いてある。
この寺院、大学時代に多少縁があって、当時もそこに絵があったのを私は知っている。そして今回のニュースで知ったのだが、どうやらおよそ50年の間、絵は同じ場所に置かれていたらしい。
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一休さんの絵は、方丈を歩いていると唐突に現れる。何故ここに絵が?と思ってしまう状況で。縦2.5 × 横1.8メートルという大型の作品で、襖絵のようにどこかに嵌めることもできないから、やむなくここに飾っているように、私には思われる。偉大な先人の肖像とはいえ、この大きさゆえにお寺の方も持て余していたのではないか?と邪推がはたらく。
御住職は「傷ついた絵を公開するのは残念だが、アライグマによる文化財被害の実態も知ってもらいたい」(日本経済新聞 2010/11/4朝刊)と話されたというが、上記のようないきさつで仕方なく廊下の隅に置いていたのだとしたら…何だかなぁ、と思うのです。
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もっとも、リンク記事の写真をみると、絵は廊下の幅ぎりぎりいっぱいに収まっているようであるから、最初からここに安置することを計算したうえで、制作されたとも推測できる。
だとしたら、ごめんなさい。
愛をもとめる心
青樹の梢をあふぎて
まづしい、さみしい町の裏通りで、
青樹がほそほそと生えてゐた。
わたしは愛をもとめてゐる、
わたしを愛する心のまづしい乙女を求めてゐる、
そのひとの手は青い梢の上でふるへてゐる、
わたしの愛を求めるために、いつも高いところでやさしい感情にふるへてゐる。
わたしは遠い遠い街道で乞食をした、
みぢめにも飢えた心が腐つた葱や肉のにほひを嗅いで涙をながした、
うらぶれはてた乞食の心でいつも町の裏通りを歩きまはつた。
愛をもとめる心は、かなしい孤独の長い長いつかれの後にきたる、
それはなつかしい、おほきな海のやうな感情である。
道ばたのやせ地に生えた青樹の梢で、
ちつぽけな葉つぱがひらひらと風にひるがへつてゐた。
萩原朔太郎の詩である。
いつぞや、高村光太郎の「ぼろぼろな駝鳥」を打ち写したことがあったが(08/11/27)
それと同じく、高校時代の国語便覧の「近現代名詩選」に載っていたものである。
以前から気になる作品だったので、ここに打ち写した。*1